●北区陸所競技協会について

沿 革

名 誉 会 長 石垣貞一郎
名誉副会長 米村途雄
会   長 潮田和男
副 会 長 西川路健児 ・ 望月幹雄
理 事 長 井上敏幸
副 理 事 長 福島 浩 ・ 中田千文

「あゆみ」 1956年(昭和31年) 創立

◆創立以前
 数ある東京陸協加盟団体の中で、わが北区陸協は早くから発足したと思われます。正確な資料は残っていませんが、故成田勘四郎氏の話によりますと、昭和6年に王子陸上倶楽部創立、翌7年王子区陸上競技協会を再創立したということでした。昭和10年頃は、王子区の全盛時代で、東京市35区市郡の大会で上位入賞の大活躍をしたということでした。

◆創立以後
 戦後は、数々の悪条件の中にもかかわらず、故北島義彦氏、故鈴木良徳氏、故成田勘四郎氏、故榎本守氏等先輩諸氏が相談して、昭和22年元旦に未公認ながらロードレース大会を開催しました。翌23年にも有志が参集して陸協が再組織されたのが、現在の北区陸上競技協会の前身でした。26年に都内唯一の陸連公認の20kmロードレースコースが設けられ、活動も活発になりました。しかし、役員主体で会員がほとんどいなく、区民に協会の存在を認識してもらうため陸上競技の普及発展を図るにはどうしたらよいのかと、30年秋より赤羽会館で鈴木、成田、丸、津島、杢代、内田、田中の有志が何回も会合を開きました。その結果今までの北区陸協を再編成し、31年4月より東陸に正式登録することとし、加盟国休としての承認を受け現在に至っています。

◆設立後の活動
 前述したロードレース大会が活動の中心となりました。 しかし、昭和46年に交通事情の悪化により、止むを得ず21回大会をもって終止符を打ちましたが、関東八都県から選手が集まり、好記録誕生、一時は日本マラソンの新人登竜門でもあり、他区から羨望の的になっていました。また31年より勤労者駅伝、36年よりクロスカントリー大会を荒川土手で開催、平成11年の37回大会まで開催されました。

◆最盛期の50年代から、平成時代の幕開け
  創立依頼地道な活動を続けてきましたが、多くの優秀な若手指導者を理事に迎えて、活動も活発になり大いなる成果を上げるようになりました。特に都民体育大会駅伝競走では、昭和51年より56年の6年間に優勝2回、3位2回、4位1回の好成績が引き金になり、北区全般のレベルアップにつながりました。また、他区に先駆けて実施している北区ナイター陸上競技大会は令和元年度で47回をむかえます。また昭和58年からは北区陸上競技記録会も開催、両大会とも大盛況で、参加者は毎年1000名を超え、グラウンド確保、運営面から申し込み制限で嬉しい悲鳴をあげているのが現状です。
◆ハーフマラソン大会の開催
  特筆すべき大会として、クロスカントリー大会を中止した翌年の平成12年、国際女子マラソンで優勝した「谷川真理選手」(北区内の高校を卒業)と話し合いをし、「キタハーフマラソン・谷川真理ハーフマラソン大会」を開催しスタートしました。第1回大会は、約3000名の参加者でしたが、年毎に参加者が増え続け、第6回大会は何と1万人のランナーが北は北海道、南は九州各地から集まり、ハーフマラソンの規模としては、日本一の大会になりました。[平成9年からは、発展的に「東京・赤羽ハーフマラソン」を開催することとなり、1万人を超える参加者を集める人気の大会として定着し、今に至っています。]

●歴代の理事長から、今後の課題として引き継いでいるのは次のような内容です。
1.小学生から中高年齢者まで参加者層の拡大と運営面の充実
2.指導者及び審判員のより一層の充実をはかる。
3.組織の中の各専門委員会の充実活発化
  また、長年の課題として、北区内に400mのトラックを作ることがあげられます。この問題は、協会だけで解決できるような問題ではないので、関係各位のご支援・ご協力を強く願い次第です。

 以上、北区陸上競技協会の歴史を振り返ってきましたが、これからも皆で力をあわせて、協会を発展させていきたいと考えていますので、皆様のますますのご指導・ご鞭撻をお願いしたいと思います。